6.全土各地に出現した名窯

気品あふれる定窯の白磁


北宋代の陶業は実に多様性があります。
華北で定窯(ていよう ※1)の白磁、耀州(ようしゅう)窯の青磁(せいじ)、鈞(きん)窯の澱青釉(でんせいゆう)、磁州(じしゅう)窯の掻落(かきおと)し、江南(こうなん)では越州(えっしゅう)窯青磁、景徳鎮窯の青白磁が、それぞれ技術革新に力を入れました。

定窯(河北省曲陽(かほくきょくよう))県では、細かな白土でつくった薄い器に、浮き彫り風に蓮弁文(れんべんもん)や唐草文(からくさもん)をほどこし、クリーム色の気品あふれる白磁が多数つくられました。

鉢・碗・皿などが多く、大形の壷・瓶(へい)などはほとんどつくられませんでした。薄い口縁(こうえん)が歪まないように口を下にする「伏せ焼き」がおこなわれ、口縁には釉を掛けず、ざらつく口縁を金銀銅などでおおう「覆輪(ふくりん)」がほどこされました。また、涙痕(るいこん)という釉が流れた風合いも見どころです。

残念ながら、北宋後期から金(きん)時代には、形押しの印花(いんか)装飾で量産化されたため、名窯としての尊厳は失われました。


※1)定窯(ていよう)
中国の唐後期以来、河北省曲陽県澗磁村で主に白磁を焼いた名窯。



北方青磁と美しい鈞窯


晩唐に始まった西安北方の耀州窯(ようしゅうよう 陝西省銅川市(せんせい どうせんし))は、白釉(はくゆう)陶や黒釉(こくゆう)陶を焼いていましたが、北宋初期には越州窯の青磁の技術を取り入れました。鋭い片切彫りで文様をつけた、透明感のある灰緑色や、深いオリーブグリーンの青磁が生まれました。

河南(かなん)省の臨汝(りんじょ)窯(汝窯)など、華北一帯でも青磁が焼かれ、この系統は北方青磁と呼ばれます。北宋後期から近代には印花装飾が主流となり、定窯と共通した装飾がほどこされました。

鈞窯は独特な作風を示す名称ともなっています。青磁釉の一種である澱青釉(でんせいゆう=月白(げっぱく)釉)が反射光で青白く、透過光で淡褐色を見せるオパール現象によって、神秘的な美しさを放ちます。北宋後期に河南省禹(う)県の窯で始まったとされ、金代には澱青釉に紅斑文(こうはんもん)を加えた瓶、盤、鉢などの名品が生まれました。さらに紫紅(しこう)釉も開発され、元そして明の時代まで続きました。



磁州窯でつくられる庶民のための陶器


河北省・磁県観台鎮(じけんかんだいちん)窯を中心とする磁州窯系の陶器は、素地に白化粧(しろげしょう ※2)した後で絵文様を掻落(かきお)としで表す装飾法が使われています。
北宋後期には白化粧の上に黒泥をかけ、上層を掻き落とす白地黒掻落とし法が考案され、美しいコントラストが特徴的な文様の陶器がつくられました。金時代には鉄絵の作品も生み出され、日常生活器を主とする庶民の陶器窯でもありました。


※2)白化粧(しろげしょう)
有色素地の表面に白泥を掛けて白いやきものにすること。



白磁印花花喰鳥文稜花盤 北宋

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