7.南宋のやきもの・日本茶人好みの磁器
景徳鎮窯の白磁の完成
青磁窯(せいじよう)が栄えていた江南(こうなん)の地では、銀器のような高貴な白磁を求める声が上がりました。五代に越州(えっしゅう)窯系の一窯として始まった景徳鎮(けいとくちん)窯(江西省景徳鎮市)は、北宋初期に白磁窯へ移行し、後期から南宋代にかけて銀器のような美しさを目標にした精巧な造形を追求し、青味がかった清爽な白磁を完成させました。中国で影青(インチン)と呼ぶ青白磁のことです。
特徴的なものに梅瓶(メイピン:口部が小さく肩が張り裾すぼまりの瓶(へい))・瓢形(ひょうがた)瓶・鳳首(ほうしゅ)瓶などがあり、日常生活器が主流でした。国内用だけではなく、アジア全域への輸出用にも大量に生産されました。エジプト・カイロのフスタートの遺跡からも青白磁が多数出土しています。
南宋後期には印花(いんか)装飾がさかんに行われていました。
龍泉窯の砧青磁(きぬたせいじ)
1127年に淅江省臨安(せっこうしょうりんあん:現在の杭州(こうしゅう))を都とした南宋王朝は、近郊の鳥亀山麓(うきさんろく)に官窯を開きました。郊壇(こうだん)窯と修内司(しゅうないし)窯の2つの窯ですが、修内司窯は発見されておらず、文献から推測されています。
この南宋官窯は古銅器を模した器形に貫入(かんにゅう:釉の表面にあらわれた細かいひび)が全面に入った独特な青磁を焼き、鎌倉から室町時代にかけて日本にももたらされ珍重されました。
官窯青磁をお手本とし、浙江省龍泉県(りゅうせんけん)の大窯(たいよう)・溪口(けいこう)・金村(きんそん)などでつくられたのが、粉青(ふんせい)と呼ばれる白味のある青釉をかけた砧青磁(きぬたせいじ ※1)です。
龍泉窯の青磁は初期の北宋時代には青緑色でしたが、南宋時代に入ると官窯にならった澄明な青色が特色となりました。花生(はないけ)・香炉・鉢・蓋物(ふたもの)など器種が多く、室内装飾の調度品として用いられたと考えられています。
日本には砧青磁の品質の良いものが多数伝わっており、鳳凰耳(ほうおうみみ)、鯱耳(しゃちみみ)、下蕪(しもかぶら)、筍型(たけのこがた)の各花生や、袴腰(はかまごし)、浮牡丹(うきぼたん)、千鳥(ちどり)の香炉などが大切にされました。
鎹(かすがい)で補修された茶碗「馬蝗絆(ばこうはん)」も砧青磁の逸品として大変有名です。
※1)砧青磁(きぬたせいじ)
中国浙江省地方で南宋代に盛大に焼かれた品質の高い青磁。砧青磁は日本特有の名称。
馬蝗絆(ばこうはん)
建窯、吉州窯の天目茶碗
室町時代に茶の湯の世界で人気があった天目(てんもく)は、低い小さな高台(こうだい)をしており、口縁(こうえん)にすっぽん口と呼ばれるくびれのあるすり鉢形の黒釉茶碗です。南宋から元時代にかけて福建省の建(けん)窯や、江西省吉州(きっしゅう)窯で焼かれていました。
建窯の天目には曜変(ようへん)、油滴(ゆてき)、禾目(のぎめ)があり、特に曜変天目は黒釉地に浮かび上がる青紫色の光彩(斑文(はんもん))が特徴です。
吉州窯の作品には鉄釉と灰釉を二重掛けにした鼈甲(べっこう)風の斑文(はんもん)があり、内側に梅花や鳳凰などをあらわした玳皮盞(たいひさん)や、木の葉文の浅い器などがつくられました。
0コメント