8.シルクロードを行きかった藍色の磁器

青花磁器の発明


元時代はモンゴル民族が支配し、東西の交通路が整備され、特にイスラム商人による陸路での行商が活発になり、福建の泉州、福州の港からの海上貿易も行われました。このとき、イスラム圏からは藍色に発色する良質の酸化コバルトが入ってきたため、青花(せいか ※1)という陶磁史上に残る画期的な発明がされました。

景徳鎮窯は青花の技法を駆使して斬新な造形と意匠を残し、後代まで受け継がれています。青花は白磁の白素地に酸化コバルト顔料で直接絵付をし、その上から透明釉をかけて還元炎焼成(※2)したもので、元時代中期の14世紀前半に始まり、繊細で優雅な意匠と、濃厚で華やかな藍色が特徴です。


青花磁器の器形

「鐔縁(つばぶち)大盤(たいばん ※3)」や「酒海壷(しゅかいつぼ)形式の広口大壷(ひろくちおおつぼ)」、獣耳広口壷(じゅうじひろくちつぼ)・梅瓶(めいぴん)・瓢形瓶(ひょうがたへい)・大鉢などがあります。

青花磁器の意匠

蓮池水禽(れんちすいきん ※4)・松竹梅・草虫・魚藻(ぎょそう)・蔬果(そか ※5)・故事物語など、伝統的図様や民画をモチーフにして濃密に描き、あざやかで美しいものが多くつくられていました。


このような青花はトルコのトプカプ宮殿に多数納められ、エジプトのフスタート遺跡からも大量に出土しており、イスラム世界から運ばれた顔料が華やかな青花の作品となって東西を行き交っていた様子が伺えます。
酸化コバルトの代わりに酸化銅を用いて淡紅色に発色させる「釉裏紅(ゆうりこう ※6)」の技法も景徳鎮窯で開発されましたが、この時代の遺品は少なく、明代になって盛んに制作されていました。


※1)青花(せいか)=日本でいう「染付」
釉薬の下に絵文様が描かれ、白磁→絵(コバルト)→透明釉の順で絵付けされている。
磁器に用いられることが多く、文様は上釉の下で藍青色に発色し、染物の藍染(あいぞめ)に色彩効果が似ているため、江戸時代初期ごろからこう呼ばれた。中国では青花(青い文様の意)、また釉裏青と呼ばれる。青花は中国の元代に大成され、以後中国陶磁の主要な陶技として発展し、周辺地域にも大きな影響を与えた。

※2)還元炎焼成(かんげんえんしょうせい)
酸素が不十分な状態で焼くこと。粘土中の鉄分は青みを帯び、酸化炎症成では赤みを帯びる。

※3)大盤(たいばん)
食物や水などを入れるための大きな器。

※4)蓮池水禽(れんちすいきん ※4)
蓮池:蓮の生えた池。
水禽:水上生活をする鳥。みずとり。

※5)蔬果(そか)
果物と野菜

※6)釉裏紅(ゆうりこう )
銅の顔料を使って紅色に発色させる焼き方。青花(染付)と同じく釉薬の下に絵付けをして焼成し、青花以上に焼成温度の管理が難しいとされている高度な技法。1300度以上で焼成し、鮮やかで綺麗な紅色に発色させる。ほんの少しでも温度が低すぎると黒みを帯び、高すぎると文様が飛んでしまう大変高度な技法。




龍泉窯の青磁「天龍寺青磁」

南宋時代に砧青磁(きぬたせいじ)を創案した龍泉(りゅうせん)窯は、景徳鎮窯と同様に技術革新をつづけ、14世紀初期に新しく「天龍寺(てんりゅうじ)青磁」を作り出しました。

肉厚で濃黄緑色の重厚感のある大作が多く、鐔縁大盤(つばぶちたいばん)、広口有蓋(ゆうがい)の酒海壷、梅瓶(めいぴん)・長頸(ちょうけい)花瓶・仙盞瓶形水注(せんさんびんがたすいちゅう)・鉢・香炉などをつくりました。

景徳鎮窯の青花との共通点は輸出向けとしてつくられていた製品にあります。印花(いんか)・画花(かっか)で装飾され、鉄絵具を釉面のところどころにさして錆斑紋(さびはんもん)とする「飛青磁(とびせいじ)」もつくられていました。

トプカプ宮殿には元から明時代にかけての天龍寺青磁の大皿が数百枚も保存されているといわれています。酒海壷は日本にも多く輸入され、横浜の称名寺(しょうみょうじ)出土の鎬(しのぎ)文壷などが残されています。




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