9.青花や五彩で生まれた多彩な技法

官窯・民窯が競った青花

明時代の陶磁器生産は青花(せいか=染付)と五彩(ごさい=色絵)を基本として、景徳鎮(けいとくちん)の官民両窯が多彩な技法で競い合い、最盛期を迎えました。


官窯の白磁と青花

洪武帝(こうぶてい)により開かれた官窯の前期は、永楽期(1403~1424年)につくられた「甜白(てんぱく ※1)」と評される白磁(はくじ)が主流で、青花はイスラム圏の金属器を模した製品が交易品としてつくられていました。

宣徳(せんとく)期(1426~1435年)、青花は官窯の主要製品となり、文様は元の様式にくらべて洗練され、高台(こうだい ※2)の中に制作年が記されるようになりました。明中期の成化(せいか)期(1465~1487年)には甜白磁の器肌と文様とが絶妙な調和をみせる「官窯青花」が美しさを極めました。

後期の万歴(ばんれき)(1573~1620年)以降は文様構成が濃密になり、器種も豊富になりました。嘉靖(かせい)期(1522~1566年)からは五彩の人気が高まりました。

※1)甜白(てんぱく)
艶やかで純白色の美しさを表した言葉

※2)高台(こうだい)
茶碗や皿の底についている台


民窯の白磁と青花

明前期の民窯の動向ははっきりとは分かっていませんが、元様式の技法を受け継いでいる青花は、中期にかけて官窯には見られないのびのびとした作風になりました。宣徳ころの渦巻き状の雲文に楼閣や龍がほどこされた雲堂手の香炉や火入れは、日本で茶碗に転用されて大切にされました。

明末期の民窯青花の主流は主に欧州に輸出された芙蓉手(ふようで)の皿類と、日本からの注文による古染付と亀甲や丸文つなぎの幾何学模様が入った、上質青花のまえぶれとなる茶陶(ちゃとう ※3)です。


※3)茶陶(ちゃとう)
茶の湯に用いる陶器)



中期以降に主流となった五彩


成化期の官窯の代表格である五彩の一種「豆彩(とうさい)」は、文様の輪郭を描いた青花に、赤・緑・黄・紫の釉(ゆう)彩をほどこすもので、可憐(かれん)な小さな作品が多くつくられました。

後に、黄釉地(おうゆうじ)に緑や赤の色釉を塗る黄地緑彩・黄地紅彩などの手法が考案され、嘉靖期(かせいき)には、上絵(色絵)を併用して繊細で華やかな五彩がつくられるなど、官窯五彩が極められていました。

万歴期には青花地に濃密な文様を極彩色で上絵付けした赤絵(あかえ)の文房具や調度品類が多くつくられました。


中期、民窯では青花を下地にしない赤絵(古赤絵)の五彩が流行りましたが、嘉靖期以降は濃厚鮮明な呉須(ごす)赤絵が描かれ、特に金箔で吉祥(きっしょう)文をほどこした絢爛(けんらん)豪華な赤絵金襴手(きんらんで)や、萌黄(もえぎ)地金襴手などがさかんにつくられました。
これらは日本の古伊万里錦手(こいまりにしきで)に影響を与えています。


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