12.白へのあこがれ
過渡期のやきもの~清廉潔白を象徴する白
高麗(こうらい)の「青磁(せいじ)」に対し、朝鮮王朝(李朝(りちょう))時代を代表するやきものは「白磁(はくじ)」です。李朝社会の思想的基盤となっていた「儒教」では、「白」は「清廉潔白」を象徴していました。
陶磁の流れはこの時期、中国でも青磁から白磁へ移行しています。
白のやきものへの移行時期、その中間的な器の形態に、粉青沙器(ふんせいさき)と呼ばれる素地に白化粧(しろげしょう)をほどこした透明な灰青色釉を掛けた磁器があります。日本でいうところの三島(みしま)です。
高麗青磁の象嵌(ぞうがん)技法を受け継いで14世紀後半に誕生した粉青沙器は、象嵌の他にも、印花(いんか)、白地掻落(かきおと)し、白地線刻、白地鉄絵、刷毛目(はけめ)、粉引(こひき - 白化粧が白い粉を吹いたような感じ)などの白化粧を基調とした装飾技法を用いて、15~16世紀に積極的につくられていました。
初期には王朝が管轄しており、一定の規準に従った作風のものが多数残っています。伝統的な象嵌と印花の装飾が主流となり、様々な大きさの菊花文が表面にびっしり埋まった印刻が施され、その上に白化粧をするこの手の粉青沙器には、「長興庫」「仁寿府」などと官庁名を刻したものが見られます。
16世紀になると象嵌や印花装飾は少なくなり、より自由で生き生きとした文様を施しやすい掻落としや、線刻・鉄絵が流行り、官庁名の刻字もほとんど見られなくなりました。
鉄絵(てつえ ※1)の技法で野趣に富んだ絵粉引が施されたものもあり、文様をつけない単純な刷毛目、粉引も多数つくられました。これらは半島南部一帯に広がった地方の民窯で焼かれ、一般庶民が日用品として使用していました。
※1)鉄絵(てつえ)
鉄絵は透明釉の下に描かれる釉下彩のひとつ
粉青沙器から白磁への移行
粉青沙器は文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱/1592~1598年 ※2)によって窯の役割を消され、以後、復活することはありませんでした。
一方、高麗末期からつくられ始めた白磁は、朝鮮王朝前期の15世紀中ごろには広州(クワンジュ)官窯を中心に、上質の白磁がつくられるようになりました。時代の流行は白磁に向かい、16世紀末には完全に粉青沙器から白磁が主流となりました。
※2)
文禄(ぶんろく)
慶長の役(けいちょうのえき)
壬辰(じんしん)
丁酉倭乱(ていゆうわのらん)
粉青沙器印花菊花文三耳壺
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