13.朝鮮王朝の品格の高いやきもの
ふくよかな白磁
朝鮮王朝(李朝(りちょう))時代の陶磁器は、金銀器に代わる王宮の食器類や祭器としても使用されていました。「倹約」「質素」「潔白」な気風を尊重する儒教思想が重んじられていたことから、特に白磁(はくじ)が官窯を中心に広く各地でつくられ、青花(せいか)とともに主流陶業として発展しました。
高麗(こうらい)末期に粗い土でつくられた白磁が焼かれたこともありましたが、15世紀前半(朝鮮王朝初期)に白磁焼造が進み、温和な灰白色の白磁がつくられました。
陶磁器の製造は、司饔(しよう)院(王宮の飲食物供給を担当する中央官庁)によって運営・管理されましたが、15世紀中ごろに京畿道(きょんぎど)の広州(くわんじゅ)に分院が設立され(広州官窯)、各地の陶工が交替で動員されました。
18世紀後期以降には専属陶工がおかれ、市場の拡大にともなって民窯に移行しました。
15世紀中ごろ、広州官窯では、量感があり安定した器形に淡青色をした優美で完成度の高い白磁も焼かれ始めました。少し後に青花も制作されましたが、16世紀後半には白磁は質の粗いものしかみられなくなり、壬辰(じんしん)・丁酉倭乱(ていゆうわのらん)(1592~98)によって停滞してしまいました。
17世紀に入ると隆盛をみた粉青沙器(ふんせいさき)は姿を消しました。一方、白磁は復興し、やがて青花の盛期をむかえることになりました。
趣豊かな青花
白磁の発展のなかで生まれた青花の初期は、中国からコバルト顔料を輸入し、明(みん)初期のころの青花の影響を受けました。17世紀後半から18世紀にかけて四君子文(しくんしもん)・秋草文・山水文を、面取りした器肌に繊細な筆致で描く、文人趣味を反映した製品に移り変わります。
18世紀後半には器の器の形はふくよかになり、筆線太く多様な文様が描かれ、民画を取り入れた庶民の嗜好に合う製品が多数つくられました。これらの作品には面取壷(めんとりつぼ)・扁壷(へんこ)・筆筒(すいとう)・硯(すずり)・筆洗(ひっせん)などの文房具が多くみられます。
高麗茶碗
17世紀、鉄絵具で文様をあらわす鉄砂(てっしゃ)のやきものはが地方の民窯で、さかんにつくられました。雲龍文(うんりゅうもん)、草花文、竹文などが、力強い筆致で奔放(ほんぽう)に描れた壷類があります。
また青花と辰砂(しんしゃ)釉の組み合わせは、色絵磁器の無かった朝鮮王朝陶磁のなかでは唯一の華やかなやきものと言えます。特異なやきものとして、日本で詫びの茶碗に見立てられた高麗茶碗があります。
17世紀中ごろから18世紀前半まで、釜山の倭館窯(わかんよう)では、舶載品の他に日本からの注文の御本茶碗なども焼かれていました。
0コメント